公益社団法人 日本作曲家協会(Jacompa)

会員名簿
会員名簿

聖川 湧(ヒジリカワユウ)

聖川 湧
専門 作曲・演奏・ボーカル
楽器名 ギター
活動地域 東京都&全国
所属団体

公益社団法人日本作曲家協会(常務理事)
日本レコード大賞(TBS)実行委員
法務省 東京都大田区保護司

作品紹介

「夫婦舟」三笠優子(1979)
「雨酒場」香西かおり(1988)
「流恋草」香西かおり(1991)
「はぐれコキリコ」成世昌平、第41回日本レコード大賞作曲賞、第32回日本有線大賞作曲賞受賞。

プロフィール

「偶然とは一言で言えないめぐり逢い!」

毎年五月は「私が生まれて育った所」富山県射水市新湊漁師町の春祭りです。獅子舞祭りの笛吹きが楽器を使った最初です。確か小学校5年生だったと思いますが、今もその横笛は持っています。時々引っ張り出して昔を懐かしんでいますが、故郷にはもう父母も無く実家もありません。一人っ子だった私に音楽の神様が味方になってくれたのはどうもその頃だったのかも知れません。横笛が管楽器アルトサックスに変わり、ジャズ演奏家に。そして、歌手に・・・。

昭和40年12月ビクターからデビューしたのは20歳です。「赤いエレキ」佐伯孝夫作詞・小畑実作曲でした。当時、エレキブーム真っ只中でヒットこそなりませんでしたがお世話になった方々がビクターレコードの社員でしたので運が開けていったと思います。

そして三年後の昭和43年、自作自演の「金沢の女」。この曲のキャンペーンで金沢の山蓄レコード店社長、八日市屋宏さんに出会いました。そのお店で野路由紀子と出会ったのですから、これも又偶然とは一言で言えません。私の作曲家デビュー「私が生まれて育った所」を歌ってくれたのが野路由紀子ですから今想えば、必然的な緑があったとしか言いようがありません。

一方、時代はジャズから歌謡曲、GS、ニューミュージック、フォーク、演歌と変化していく将来を感じ、作曲の勉強を怠りませんでした。ジャズバンドマン、歌手時代に書き留めていた作品が38曲。その中1曲に「私が生まれて育った所」があったのです。昭和45年作曲家デビューです。

そしてRCAレコードディレクター榎本嚢さんとの出会いにもなり、バーニングプロの社長・周防郁夫氏とも緑が出来、多数の音楽業界の方々に出会えました。苦労といえば「夫婦舟」が発売になる、昭和54年頃かな?昭和45年「私が生まれて育った所」から54年までの10年近く依頼された仕事は3、4曲その間ピアノ弾き語りの仕事で食い繋いでいました。でも、書き溜めた曲は150曲余り。後の私の大きな力になってくれたのです。

世はカラオケ時代に移行して行く中、香西かおり、服部浩子ら弟子達がオール女性で賑やかな演歌道場があった渋谷の事務所に各レコードメーカーディレクター諸氏が出入りしてくれました。

清水道夫氏、千賀奏洋氏、JCM岡賢一氏、坂本敏夫氏、古川健二氏著作家はメーカーディレクターの中で育ちました。今も昔も同じです。

現在私は作曲協会の常務理事ですが、これからの作曲家を目指す全国の協会員の皆さんと手を携えて頑張って参ります。

お問合せ 日本作曲家協会
03-3585-4970(電話)
03-3585-7694(FAX)
info@jacompa.or.jp
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