四方 章人(ヨモアキト)
Akito Yomo専門 | 作曲・演奏・ボーカル |
---|---|
楽器名 | ギター |
活動地域 | 東京都&全国 |
所属団体 | 公益社団法人日本作曲家協会(常務理事) |
作品紹介 | 「浪花節だよ人生は」木村友衛/細川たかしなど JASRAC賞受賞(1986) 「酒場すずめ」村上幸子(1984)第5回古賀賞受賞 「南部蝉しぐれ」福田こうへい・第46回日本有線大賞新人賞 受賞2013年度藤田まさと賞特別賞受賞 |
プロフィール | 「素晴らしい師匠とのめぐり逢い!」 私が初めて音楽に目覚めたのは中学生の頃でした。故郷・岩手の映画館で、エルヴィス・プレスリーを観たときの衝撃は、今でも忘れません。優しくギターで語り掛け、画面一杯に広がるプレスリーの笑顔と歌声がとても魅力的で、少年の私はすっかり音楽のとりこになりました。何とか音楽で身を立てたいと思い、上京はしたものの音楽業界にコネもツテも無く、そんな時に、ビクターレコードの歌手オーディションに応募して合格しました。レコード会社の制作者から猪俣公章先生の所へレッスンに行くように言われ、そのまま門下生として二年間の居候生活が始まることとなりました。 先生の身の回りのお世話をしながら、夕方になるとレコード会社の制作者が集り、毎夜酒盛りがはじまるのでその準備で大忙しでした。徳利に熱燗というシャレたものじゃ無く、一升瓶の酒をヤカンで沸かして茶碗酒。歌手になる為に先生の所へレッスンに行ったはずが、先生の楽譜を整理しながら自分でも曲作りを始めていました。一応先生の作品で歌手デビューをしたもののまったく売れず、故、山口洋子先生の紹介で、夜は銀座の「クラブ中鉢」で弾き語りをすることになりました。昼はギターをかかえてレコード会社に作品を売り込む毎日でした。 昭和48年に初めて三善英史に作った「遠い灯り」がヒットし、昭和55年に作詞作曲の「おれでよければ」が田辺靖雄、アローナイツ他、4名の競作に成り銀座の有線放送では3ケ月間一位の快挙となりました。そんなある日、「中鉢」の常連だった作詩家の巨匠藤田まさと先生から、弾き語りをしている私に紙ナプキンが手渡され、「四方ちゃん、これに曲つけといて」それには「浪花節だよ人生は」の一番の詩が書いてありました。昭和59年に発売になった木村友衛の「浪花節だよ人生」は、細川たかし、水前寺清子他14名の競作となりお影様でミリオンセラーとなりました。 色々な人との出会いがありましたが、猪俣先生は、バカヤロウが口癖でしたが、心の暖かい思いやりのある兄貴のような師匠でした。藤田先生からは、何かと人生の道しるべになるような言葉を頂き、父のような尊敬すべき師匠でした。お二人の素晴らしい師匠にめぐり会い、現在の私があるのです。心から感謝、感謝です。 |
お問合せ | 日本作曲家協会 03-3585-4970(電話) 03-3585-7694(FAX) info@jacompa.or.jp |
リンク